京都最古の禅宗寺院として名高い建仁寺。その境内南東に位置する建仁寺塔頭寺院・霊源院は、応永年間(1394年〜1428年)、龍山徳見和尚を勧請開山として、その弟子である一庵一麟によって創建されました。鎌倉時代末期から室町時代にかけ、京都五山と鎌倉五山の禅僧たちによって栄えた漢文学・五山文学の最高峰寺院とされた霊源院。「建仁寺の学問面」の中核を担ったこの寺院から、室町時代の五山派を代表する学僧が数多く輩出されました。
五山文学を究めた高僧達の学びの場。"関"の書のついたてがある霊源院の本堂。学問に優れた僧を多数輩出し、幼い頃の一休宗純に漢詩を教えた慕哲龍攀などが有名です。
境内の南西に広がり、本堂から眺める事ができる枯山水庭園。仏陀釈尊の生誕から入滅までを表現している庭です。甘茶がたくさん植えられ、花梨の植栽や松も配されています。
四畳半の茶席。本堂内ににじり口がある珍しい構造になっています。建仁寺の開山・栄西禅師は、中国からお茶を持ち帰り、普及に努めたことで「お茶の祖」としても知られています。
霊源院の本堂南側には、花頭窓を隔てて「妙喜庵」という、もうひとつの茶室があります。茶室として一番小さいサイズの一畳台目の茶室です。一畳台目は、点前に必要な道具畳と、客が座る一畳だけに切り詰めた、究極の茶室とされています。
五山文学で活躍した臨済宗の僧侶、中巌円月の木像。伝統的な技法を継承する南北朝時代の肖像彫刻であり、玉眼を嵌め込んだ表情が見事な写実性に優れた傑作です。
中巌円月坐像の胎内仏で、慶派仏師によって鎌倉時代に手がけられた木像。動きのある衣の表現など、細部にまで丁寧な彫刻が施されています。左手に持つ水晶の中には伝教大師最澄が持ち帰ったという仏舎利が納められています。京都府登録文化財にもなっています。